「デザインプロデュースの現場」外部取材記事です。
堺の伝統産業である注染和晒は、特殊なのりで防染した布地に染料を用いて模様にだけ色染めをする型染で、天保年間に開発された技法だといわれています。表裏が同じように染められる注染和晒の独特のやわらかな色合い、使い続けるうちになんとも言えない風合となるのが特徴です。
この注染の技術を絶やしてはならないと、新しい試みに常にチャレンジをしているのが『にじゆら』のブランドで知られる株式会社ナカニです。代表取締役社長の中尾雄二さんは二代目にあたります。
作り手側からの味方が強くなりお客様目線の企画が難しくなるからです。新鮮な外部からの目線を、常に取り込みたいと考えています。いまは職人と若いメンバー、それぞれの立場で「にじゆら」を盛り立てるために頑張ってくれています。 (コーディネーター)
注染の仕事を始められたきっかけはなんですか。
(株式会社ナカニ 中尾雄二さん)
大学卒業後は松下電工株式会社(現、パナソニック電工株式会社)に就職し、営業として忙しく仕事をこなしていました。しかし家の事情で父が経営するこの会社に入ることになりました。入ってはみたものの、ひたすらメーカーから受注した手ぬぐいを染めるというもので、営業活動は皆無でした。なにせ、営業が天職と思えるほどの仕事をこなしていたのでじっとしてはいられない(笑)。父は「工場に入った限りは職人になれ」というタイプでした。当時、叔父の会社からの仕事が90%以上を占めていました。それではおもしろくないと染めの現場へ入りながら、他の得意先を増やすために営業活動を続け、仕事の幅も広がるようになっていきました。
しかしバブル崩壊後、中国製品が並ぶ100円ショップの台頭によってお配りものには“手ぬぐい”ではないといけない時代ではなくなり、注染工場にとっては厳しい時代が到来しました。
井の中の蛙からの脱皮。
(コーディネーター)
受注業者としての立場では注染は生き残れないと感じられたのですね。
(中尾さん)
仕事の減少にあわせて工場も淘汰され、生き残った注染工場への仕事の供給バランスはそれなりに取れていました。しかし将来的には寂れていく伝統産業という感は否めません。松下電工を辞め、注染の世界に入ったものの製品が評価されることはなく、売り上げを上げるためだけの仕事で夢もない。
納期と単価を上手く合わせて納品すれば代価をもらえる仕組みの中に取り込まれ、好きではなかったが、やらずには食べていけないというものづくり、そこに小さな穴でも開けないと注染という技術は廃れてしまう。 大きな転機になったのは
、京都北山にある雑貨店「アルファベット」の郷田英子さんとの出会いです。14、5年前にオリジナルの手ぬぐいの注文を受けたのがご縁。彼女の言うことは僕にとっては面食らうことばかり。例えば彼女がおもしろい、売れるという色は、注染ではB品となるため絶対に使わない色ですし、手ぬぐいでバッグをつくれば売れるとか・・・注染の世界の常識といまの若い人達に受け入れられるものとのギャップを目の当たりにしてまさに目からウロコが落ちるとはこのこと。すぐに方向転換はできないが、ここにいかなければ注染の未来はないと感じました。
注染が生き残るためのブランドづくり。
問屋に売れる手ぬぐいではなく、自分達がつくりたい手ぬぐいをつくる。注染を残せるビジネスモデルをつくろう、プリントと注染の違いを知らないお客様に知ってもらうためにはブランドが必要だと立ち上げたのが「にじゆら」です。魅力的な商品をつくり、これは何?注染!とならなければ広がらない。自分の工場だけでなく広い意味で注染という技術を残すために「にじゆら」があって、注染の代名詞という意味で「にじゆら」を使っています。
おおさか地域創造ファンドに採択され、中崎町本店をオープンさせてから3年。京都東山店、三条店、神戸店と現在4つの直営店を中心に、取り扱い店が80店舗、ロフトや百貨店などの量販店には催事として出店しています。プリントか注染かわからないような陳列はお断りしています。とくに大型量販店では「にじゆら」の看板が出せないのであれば出店しません。地方の取り扱い店様は小さな規模でも1年中扱ってくださいます。また、ロフトなど量販店に来店されるお客様は、にじゆらの直営店に来ていただくためのプロモーションとしての位置づけで期間限定のイベントで出店しています。
注染の宣伝マンに徹する。
(コーディネーター)
中小企業で受託加工をしていて苦しいところは一杯ありますが、そういうところも何か自分の道を見つけていけると思われますか。
(中尾さん)
やはり覚悟が必要です。能率は確実に下がる、得意先はなくなるかもしれない。
パッと咲いて、パッと散るのは意外に簡単ですが、やはりまずは継続、そして次の世代を育てることも含め覚悟がないとできません。その証拠に、にじゆらの手ぬぐいを1500円で売ると値段を決めたとき、2000、3000枚の受注仕事をしてきた長く勤めている職人は「2000×1500円ならもうかってしかたない」と言うくらい“ものがそんなに簡単に売れない”ということを知りません。
また、好きで始めた仕事ではない分、自分達の仕事の値打ちを知ろうともしません。
逆に「にじゆら」に憧れて入ってきた若いメンバーは“好き”からこの仕事を始めているので、企画する立場から染めに入る、染める立場から企画に入ることで、若いメンバーが注染の味わいを自ら理解していく姿がとてもおもしろいですね。企画のイニシアチブを取るのは最終的には僕ですが、ぎりぎりのところまで女子の企画メンバーと外部の契約デザイナーの方とで練ってもらいます。外部のブレーンを入れているのは、社内の人材だけで企画をすると、作り手側からの味方が強くなりお客様目線の企画が難しくなるからです。新鮮な外部からの目線を、常に取り込みたいと考えています。いまは職人と若いメンバー、それぞれの立場で「にじゆら」を盛り立てるために頑張ってくれています。
また僕自身、若いメンバーが「にじゆら」ワールドが好き!という感覚を企画に生かし、楽しそうにやっているのを大事にしたいと強く思っています。
そのために、売り上げは少なくしても、ちゃんと利益を出して職人を育てられる会社にすること。それを目指すためには、どこにでも売らない。僕の注染への思いをちゃんと伝え、自分の口で、店で発信していくこと。アルファベットの郷田さんの「中尾さんは注染を宣伝していたらいい」という言葉が一番正しかった。晒しの木綿に染色することで、洋柄を持ってきても和を逸脱しないのが注染の特徴。注染の価値を上げるために、どこもやらないことをひとつずつやっていきます。注染という素晴らしい技術がいまや忘れられてしまったことで、逆に知ってもらう機会をつくることができた。これからも形を変えて違う魅力を引き出すことができればこの技術と注染の仕事は残ると信じて動いていきます。
(2013年11月現在)
京都東山店、三条店、神戸店と現在4つの直営店を中心に、
取扱店が約200店舗、ロフトや百貨店などの量販店には催事として出店しています。
にじゆらのデザインの「ツボ」
・雑貨ショップの方との出会いが、大きな転機になっています。
・<中尾さん>自社商品開発には覚悟が必要。能率は確実に下がる、得意先はなくなるかもしれない。
・<中尾さん>受注仕事を長年してきた職人は、 “ものがそんなに簡単に売れない”ということを知らない。
・<中尾さん>社内の人材だけで企画をすると、お客様目線の企画が難しくなる。
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